日本では、働き方についての議論が多くなされるなかで、デンマークのワークライフバランスの取れた働き方について、注目される機会が増えたようにと思う。ご存知の方も多いかもしれないが、デンマークでは多くの人が夕方には帰路につき、家族や友人との時間を楽しむことが一般的である一方、国としては世界経済競争力ランキングにおいて2022年、2023年と連続して1位を獲得している。(国際経営開発研究所)
筆者はデンマークの首都コペンハーゲンにおいて、一般的に他の業界よりも厳しい労働環境といわれる建築事務所で働いているが、その中で仕事の効率化だけでなく、いかに社員一人一人の勤務時間の質を高めるか(快適に働けるか)、という点において、職場環境やチームマネジメントについて、様々な発見があった。一事例ではあるが、具体的な例にはデータからは分からない気づきがあるのではないかと思い、筆者が所属している建築事務所と、その創設者兼代表であるコスタスに注目して、記事にした。
スクエアワン(SQ-1 SquareOne)
ギリシアやデンマークの他、リトアニアなど他ヨーロッパや韓国など様々な国のプロジェクトを手掛ける。事務所にはルーマニアやポーランド、ギリシア、ドイツ、デンマーク、中国、日本など様々な国からのスタッフがおり、それぞれの状況に合わせて、リモートワークも取り入れながら働いている。2021年には、事務所を現在のフレデリクスベアに移転させた。
Work — SquareOne (sq-1.dk)
コスタス・プロプロス(Kostas Poulopoulos)
スクエアワンの代表兼創設者。ギリシア出身であり、ギリシャで建築の修士号を取得したのち、日本に渡り、東京大学で建築・都市デザインの修士号を取得。在学中は隈研吾建築都市設計事務所にも勤務した。卒業後はデンマークに移り、国際的な建築事務所ヘニング・ラーセン・アーキテクツに勤務し、国際コンペティションのリーダーとして、デンマークやヨーロッパの大企業の本社ビルなど、様々なプロジェクトを獲得した。その後、デンマークの建築事務所BIG(Bjarke Ingels Groupの略。)でも働いたのち、2015年に自身の建築事務所、スクエアワン(SQ-1 SquareOne)を立ち上げた。
About — SquareOne (sq-1.dk)
フラットな人間関係における役割分担
既にご存知の方も多いかもしれないが、デンマークは学校でも職場でも、人間関係がとてもフラットであり、立場による呼び方の違いが存在しない。友達も、教授も、上司も社長も、下の名前で呼び捨てする。(正確な記述は見つからなかったが、デンマークの人に聞くと2000年頃から始まった風潮という。) 筆者も上司を通常「コスタス」と呼んでおり、Mr…などとは一度も呼んだことがないため、この記事でもファーストネームで書くこととする。
役割が分かれている仕事、分かれていない仕事
人間関係がフラットとはいえ、「みんなが同じ」という訳ではない。同じ目線で話すことができるという意味ではフラットであるが、立場による役割の違いは明確に存在し、上司は友達とは異なる。例えば、プロジェクトを進める際、大きな段取りやデザインの最終決定はコスタスが行う。また、契約書や請求書などの作成もコスタスが担当する。
一方、プロジェクト以外のこと、例えば備品の買い出しやごみの分別、はたまた床や窓の掃除などについては、誰がやるか全く決まっていない。プロジェクトは特定の人に帰属している一方で、それ以外の日常の細かいことについては、「みんなの仕事」として特定の人に帰属していないことを興味深く感じた。
コミュニケーション
人としてのつながり
スクエアワンで働き始めた頃、とても印象的だったことがある。それは、コスタスがスタッフの気持ちを日常的に意識しながら働いていたことである。先述したように、代表としての仕事や決定事項が多くあり、それらを限られた時間で終わらせるとなると、周りのことが目に入りにくくなるのは自然なことのように思える。しかしながら、どんなに忙しくても、その日あまり話していない社員がいる場合は、夕方までに必ず声をかけていることに気が付いた。内容は大体「調子はどう?」や「(プロジェクトについて)どんな感じで進んでる?」など一般的なものだが、大切なのは聞く内容でなはなく、「気にかけている姿勢を見せる」ことなのだと思った。また、代表が用事で先に帰るときは必ず一人一人とアイコンタクトを取るうえ、普段リモートで働くスタッフが出社する際は、必ず代表が最初に一番嬉しそうに出迎える。
このように、毎日小さな「ここにいてよい」というメッセージを受け取りながら働いていると、第二の家族のような連帯感がうまれ、代表が1週間ほどの出張から戻ってくると、スタッフ全員が自然とハグで出迎えるようになる。また、代表だけでなく、体調不良でしばらく出社できなかった同僚が出社した際も、みんなでハグをして出迎えるような雰囲気が自然と作られる。小さなことではあるが、日々の細かなコミュニケーションがチームとしての連帯感にいかに影響を与えるのかということを実感した。
お昼はみんなで
基本的に、お昼は全員が同じタイミングで、窓際の長テーブルに座って食べる。ここでは基本的に仕事以外の話をして、リラックスをする。デンマークでは、昼休みは学校でも職場でも30分が通常だが、事務所は少し長めに40-50分くらい取っている。全員でいろいろな話をして、笑いあって、午後の仕事に戻る。
お酒
事務所の文化を語るうえでもう一つ欠かせないのは、お酒である。もともとデンマークでは16歳になると16.5%以下のお酒が購入できるようになることもあり、お酒が社交に欠かせないものとなっている。そのため、スクエアワンに限らず、多くのデンマーク企業では、金曜になると「フライデーバー」というものが行われる。デンマークは外食代が高いため、どこかに飲みにいく代わりに、社内で飲み会を開催するのである。フライデーバーを開く頻度は企業によってバラバラであるが、社外の人も呼んでよいイベントなので、ネットワークを広げるきっかけになったりもする。事務所では、公のフライデーバーが開かれるのは数カ月に一度だが、「内部のちょっとしたフライデーバー」はほぼ毎週行われる。金曜の4時か5時ごろになるとコスタスの音頭と共に冷蔵庫にストックしてあるビールが開けられ、ポテチや小さな人参をつまみにひたすら話す。何かを祝いたいときは、スパークリングワインにイチゴやグレープを併せて乾杯したりする。
教育育成
知識や経験は惜しみなく共有
スクエアワンで働き始めた頃、もう一つ驚いたことは、コスタスを筆頭に全てのスタッフが知識や経験の共有を全く惜しまないことである。特にコスタスは、自身が様々な挑戦のなかで学んだことを、理由を含めて最初からストレートに教えてくれる。これはポーランド出身の同僚も強く共感してくれたことだった。日本では「師匠の背中を見て学ぶ」という文化が伝統的にあり、それは試行錯誤の中で思考力や創造性を鍛えるのに良いのかもしれないが、限られた時間の中で誤解などせず正確に学ぶという点では、効率が良いかもしれないと感じた。
ラーニングカーブを受け入れる
デンマークでは、基本的に研修期間というものがない。会社や業界によっては、数時間の説明会などが別途設けられることもあるが、基本的には即戦力になることが前提で、入社するとすぐに他のスタッフと一緒に働き始める。教育に時間を割かないということは、仕事を効率的に進め、人件費を抑えるための一つの手段となっている。(そのため、学校を卒業したばかりで実務経験に乏しい者は、就職が本当に大変である。業界の状況にもよるが、建築業界ではデンマーク人であっても、就職に1年近く費やすことも珍しくない。)そのため、コスタスがどのプロジェクトでも、新しいことを学習するための時間が含まれることを最初から想定している、と聞いた際には「デンマークの会社なのに学習時間を含めてプロジェクトを計画しているのか」ととても驚いた。実際、事務所ではプロジェクトごとに新しい新しい手法を試しているように感じる。
職場環境
働く時間のスパイス=音楽
代表を筆頭に、スタッフは音楽好きな人が多い。毎日朝から、誰かがSpotifyという音楽配信サービスを使って、スピーカーでそれぞれが格好いいと思う音楽を流して共有している。加えて、この事務所にはピアノがあり、コスタスは会議で疲れた時、行き詰った時、必ずというほどBGMに併せて、または音楽を少しの間止めてピアノを弾き始める。今までこのようなストレスの発散方法は目にしたことがなかったのでとても驚いたが、きれいな音楽を聴いて嫌な気分になる人がいるわけがなく、現在は最も平和なストレス発散方法の一つと思うようになった。また、ピアノへの興味はスタッフの中でも少しづつ広がっており、最近は筆者も仕事終わりに先輩と連弾をして気分転換したりするようになった。また、他の気分転換としてはフルーツがあり、長机には常にリンゴやバナナ(たまにチョコレート)が置かれている。
「外から見える」職場
オフィスがあるのは、バス通りに面した建物の一階である。ミーティングやランチに使う長テーブルの隣には通りに向けた大きな窓があり、バス停で乗り降りをする人や、通りを歩く人と目が合ったり、たまに手を振ったり振られたりすることもある。つい先日は、会議中に私たちが笑っているのを見た歩行者が笑い返したり、通りかかった青年が、「この事務所格好いいね!」とジェスチャーで示して大きな笑顔と一緒に親指を立ててくれたりもした。また、オフィス側面には縦長の窓が連続しているが、これはこの建物の裏庭への通路に向けて開かれているため、裏庭に自転車を停めに行く住人とよく目が合う。デンマークは基本的に窓にカーテンをつけないということもあり、常に「事務所の外側とのつながり」の意識の片隅にある。これは個人的な考察であり、仕事によっては守秘義務などで実行することが難しいことも理解しているが、もしかすると第三者の視線が入るような開かれた職場環境の方が、隔離されたような環境よりも理性を保ちやすく、一般的に望ましいと思われるような行動を取りやすくなるのかもしれない、ということを感じた。
あたたかい照明
デンマークというと、「ヒュッゲ」(対応する日本語がないのだが、「温かく居心地のいい雰囲気・空間」などと訳されたりする。)という言葉が日本でも普及してきたと思うが、筆者から見てオフィスはとてもヒュッゲな空間だと感じる。例えば冬は、出社して最初のコーヒーを淹れる時には同時にキャンドルに明かりを灯す。オフィスのメインの照明は天井の蛍光灯ではなく、色温度の低いデスクライトの明かりである。
DIYの余白
先述したとおり、事務所は2021年に現在の場所に移動したのだが、ほとんどがコスタスと友人のアナによるDIYと知り、とても驚いた。そのため、事務所の中では普段作業する机をはじめ、至る所にDIYのぬくもりを感じられると筆者は思っている。中でも、会議室の扉はレールにベニヤ板を設置したもので、備え付けの扉のような完璧さはないものの、会議中のための音の配慮としては十分である。個人的な感想ではあるが、引き戸が珍しいデンマークで、ハンドメイドの引き戸を開け閉めする感覚には何とも言えない高揚感を覚える。
もともとDIYで作られているため、追加で行われたDIYも違和感なく馴染む。2023年の秋には、会議室へのもう一つの扉であるボードをスクリーンとして活用しプロジェクターも設置された。コンペティションなどにプロジェクトを提出する際や、ゲストにプレゼンをしてもらう際などは、このスクリーンを活用して、メンバー全員で共有する。
チームメイトの証、マグカップ
デンマークはイギリスまで飛行機で2時間と近いが、紅茶よりもコーヒーが多く飲まれ、多くのオフィスが性能の良いコーヒーマシンを所有している。事務所も例外でなく、エスプレッソマシンが社内にあり、美味しいコーヒーがスタッフの日々の楽しみになっている。事務所では、このコーヒーを飲むカップをハンドメイドのお店で見つけてプレゼントするのが、新しいスタッフに対しての慣例となっている。それぞれデザインは少しづつ違うものの、同じ時期に事務所からプレゼントされたものを毎日使うというのは、組織への帰属意識を自然と高めているように感じた。筆者も工場生産のグラスのカップから、コスタスが選んでくれたハンドメイドのマグカップに切り替えられた時は、嬉しすぎてSNSのアイコンを変えたほどであった。
建築プロジェクト
コンペティションに対して慎重
前述した通り、代表はコンペティションの猛者である。それだけ、コンペティションの大変さ、厳しさを熟知しているともいえる。事務所の仕事はコンペティションで獲得したものも多くあるが、現在進行中のプロジェクトのほとんどはクライアントと直接契約して獲得したものである。(コミッションと呼ばれる。)このように、確実に収入に繋がるプロジェクトがいくつかあるということが、労働時間を抑えることに繋がっているのだと感じた。
社内でプロジェクトの進捗を共有
事務所に毎日いるスタッフは、5-7人ほどである。そのため、部門で分かれることもなく、プロジェクトやその状況に応じてチームが入れ替わる。毎週月曜の朝には「マンデーミーティング」が行われ、コーヒーを片手にそれぞれプロジェクトの状況を報告する。この時間があることで、担当外でも各プロジェクトの進捗を把握することができ、基本的なことををお互い把握しているからこそ、何かあった時に聞きやすく、助け合いがしやすい環境になっていると感じた。
時間管理
勤務時間は「ざっくり」
デンマークでも業界によって異なると思うが、事務所にはタイムカードというものがない。契約で週何時間働く、ということは決まっているので、大まかに9時から5時まで勤務ということにはなっているが、9時前に出社する人はほぼおらず、大体9時30分までに全員が揃う、というのが通常である。終わる時間も基本は5時であるが、私用があれば早く切り上げることも可能である。筆者は、日本にいたときは5分でも遅刻するようなことがあれば必死に電車の遅延証明書をもらいに行ったりしていたので、勤務時間の管理がとても大まかであることにとても驚いた。
けれども、コスタスはもちろん、どのスタッフに対しても仕事に対して手を抜く印象は全くない。普段は少し遅めに来ていても、プロジェクトの状況に応じて必要であれば早く出社することもあるし、締め切りがあれば必要に応じて残業し、ごくまれにではあるが、時には真夜中近くまで残ることもある。「何を見せられるか」という点に対するプロ意識を強く感じ、それが勤務時間に対するメリハリを作っているのではないかとも思った。
欠勤・遅刻理由は証拠なしで信じる
これはデンマークで共通のことだが、基本的に信用ベースで話が進む。例えば体調不良によって数日続けて休むような場合であっても、医師の証明書が必要になることはない。同じヨーロッパでも、隣国のドイツは病気によって欠勤する際は必ず医師の証明書が必要と聞き、国による文化の違いを感じた。
他のスタッフの声
スクエアワンで働く何人かのスタッフに、それぞれの出身国での経験や、デンマークの他の事務所での経験を踏まえて、スクエアワンの特色を語ってもらった。
・一番の違いはワークライフバランスだと思う。ポーランドでは週40時間勤務が基本だが、デンマークでは37時間勤務が基本で、残業もほとんどない。ポーランドやデンマークの他の大きな建築事務所と比較しても、スクエアワンの事務所は共有スペースがちゃんとあって居心地がよく、フレンドリーな空間だと思う。また、小さな事務所だからこそ、様々な課題に取り組めることにやりがいを感じている。(ポーランド出身、ヴロツワフとコペンハーゲンでの勤務経験)
・これまでデンマークの2つの大きな事務所で働いたが、どの職場も良い人に恵まれとても好きだった。強いて言うならば、スクエアワンでは他の事務所よりも質問がしやすく、助けを求めやすいと思う。また、少人数で回している分、より興味深い課題に取り組むことができ、プロジェクトの中でもより自分の貢献を感じられるように思う。(デンマーク出身、コペンハーゲンでの勤務経験)
・社内の雰囲気はとてもフレンドリーで、家族のように感じる。ギリシアでインターンをした際は、すぐにプロジェクトに入ることが求められ、学ぶ機会がほとんどなかったが、ここでは周りの人が助けてくれ、学ぶことができる。また、ディスカッションをする機会があり、互いに他の人の意見に耳を傾けようとする姿勢がとても素晴らしいと思った。「チームとして働く」という気持ちが強いと思う。(ギリシア出身、アテネでの勤務経験)
・社内の雰囲気はとても良くて、皆仲が良く、互いに尊敬し合っているように思う。パソコンなど使用する器具も含めて、インターンと社員の間でも本当の意味での平等を感じる。勤務時間については、上海の日系建築事務所にいた頃は10時間勤務+残業が普通であったが、ここでは基本8時間勤務で残業もないので、働いている時の感覚が全く異なる。(中国出身、上海での勤務経験)
まとめ
この記事を書くにあたって改めて考えたが、職場で一日10回くらい笑ってると思った。一つ一つは小さなことだと思うが、共通して、コスタスの「自分にも相手にも完璧を求めすぎない」ということ、「スタッフに楽しく働いてほしい」という気持ちがベースにあると感じた。
もちろん、このようなゆとりのある職場の背景には、デザイン料の違いというような経済的な影響が大きいとは正直思う。それでも、日本で働き方が大きな議論となっている現在、このような発信が一つでも多くの人の職場の労働環境を向上させる一助となり、一人でも多くの人が気持ちよく働くことのできるきっかけとなれば、と願っている。
参考文献
International Institute for Management Development 国際経営開発研究所 (2023) “World Competitiveness Ranking”, [online]. Available at: https://www.imd.org/centers/wcc/world-competitiveness-center/rankings/world-competitiveness-ranking/ (Accessed: 4 Mar 2024)